もう限界 離婚が頭をよぎった21の場面3悪夢の36時間出産 編
悪夢の36時間出産 編
こんにちは。
Kです。
(プロフィール)
https://allegrare.net/k
私がリボーンコンシェルジュの
飯野さんのところに
たどり着くまでに
幾度となく頭をよぎった
離婚したい気持ち。
パッと思い返しただけで
21の場面が
鮮明に思い出されたので。
それを古い順に一つずつ
紹介していきます。
今回は
時系列で思い出した中で
3番目に古かったものです。
「もう限界 離婚が頭をよぎった21の場面 3」
悪夢 36時間の出産編
をお届けします。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
私の出産は
日本中が2004年
アテネ五輪女子マラソン選手の
選考に沸く、
真冬の寒い日だった。
初産ということもあって
出産予定日の2週間前くらいから
いつ生まれてもいいように
出産準備バッグを整えていた。
でも、予定日を過ぎても
全然陣痛がこない。
おっかしいなぁ〜。
もう来てもいいだろう!!
予定日の1週間前まで
マタニティスイミングに通って
元気に体調も整えていた。
予定日を4日過ぎた日
少しでも身体を動かそうと
寝る前に
床掃除でもしてみるか!
とやっていたら
おおお!
破水してしまった。
急げ!
実家の母の車に乗って
病院に直行した。
即入院。
いよいよだ〜!
と思っていたら。
夜遅かったこともあったのか
看護師さんに
「大丈夫ですよ。
今夜はまだ生まれないので
また明日、
先生がいらしてから
診てもらいましょう」
と言われ
静かな病室に
泊まることになった。
一応夫は、
「予定日だったら
仕事で無理だったけど
遅れたから
ちょうど休みだった」
という消極的な理由ながら
病院に 来てくれた。
痛すぎて
何かを食べるとかいう
気持ちにはなれなかったけど
とりあえず
出産までに
いちごを1個だけ
食べた気がする。
私の担当の先生は
その総合病院で
有名な産婦人科医で、
人気もあって
超自然派の先生だった。
陣痛促進剤
無痛分娩
は一切行わない。
1年中
裸足にサンダルの
ラフな格好
ラフな髪型の
先生だった。
その夜は
30分置きにやってくる
すさまじい痛みの
合間を縫って
時々ウトウトしては
痛みで起きる
を繰り返した。
夫は
リラックスした様子で
お菓子を食べたり
長椅子に横になって
漫 画を読んでいた。
私は
さすがに
人生初の
とんでもない痛みに
耐えられなくて
夫に頼んで
背中や腰を
マッサージしてもらった。
長い夜が開けて
朝を迎えた。
そこからが長かった。
日中も
「まだですね〜」
と言われ続けて
産む直前の
短い間隔の陣痛が
なかなかやって来なかった。
だからと言って
痛みが弱いわけではなく
すさまじい痛みは
間隔を開けて
ずっと襲ってくるので
休むことは出来なかった。
2回目の夜を迎えた。
担当の先生が
「今日はまだだったね〜。
明日には生まれるよ〜。
帰るね〜ハハ」
と行ってしまった。
「先生ーーーーーー!!」
「待ってーーーーー!!
帰らないでーーー!!」
「陣痛促進剤を
打ってくださいーーー!!」
先生の姿はすでになく
私の声は
聞いてもらえてなかった。
ウソだろうーーーーー!!
気を失いたい!!
一瞬そう思った。
でも、
赤ちゃんに会うまでは
気を失うことは
出来なかった。
隣のベッドの人が
何人も
入れ替わって
出産してるのに。
私はいったい
いつになったら
産めるんだ!
痛みに 耐えて
2回目の朝を迎えた。
なんだかもう
今日が何日かも
何時かも
いつ眠れたのかも
何もわからなかった。
そして
やっと
陣痛の間隔が狭まってきた。
きたーーーー!!
やっとやっと
分娩台の上に行くことができた。
もう入院してから
丸一日以上
多分34時間くらい経っていた。
なんだか、
よくわからないけど
看護師さんや
助産師さんの
アドバイスに従って
私は必死で
ヒッヒッハーと
呼吸した。
超ユルユルの
私の担当の先生は
夫が構えていた仕事用の
一眼レフに食いついて
楽しそうにカメラの話をしていた。
先「ご主人、いいカメラですね。
この位置が
ベストポジションですよ」
夫「ここですか?」
先「もう少しこっちです」
そして その日は
その年の夏に行われる
アテネオリンピックの
女子マラソン選手の
選考会を兼ねたレース
大阪国際マラソンの日だった。
とにかく
女子マラソンの選手選考が
日本中の注目の的に
なっていた。
高橋尚子は
前回のシドニーオリンピックで
金メダルを獲って
Qちゃんの愛称で大人気になり
記録も良い中
高地合宿で胸を痛めて欠場。
野口みずきは
前年の大阪国際で
日本新記録を出していて
2013年秋のパリ国際でも
銀メダルで
ただ一人
アテネ五輪に内定されていた。
残る2名を
この日の大阪と
3月の名古屋で
選ぶことになっていた。
昨年の雪辱を果たす千葉真子か
渋井陽子、坂本直子か!?
夫は
私の出産に立ち会いながら
その日本中の
大注目のレースを
携帯で見ながら
分娩台の横で
ちょいちょい
実況中継を始めた。
先生も悪ノリして
「おおお!」とか
「えええ!」とか
いちいち反応したり
自分から聞いたりして
看護師さんたちも
混じって
なんだか盛り上がっていた。
こっちが
本当に必死で
人生初の痛みと
直面しているときに
なんちゅうことを
してくれるんだ!!
イタ過ぎて
注意できなかったけど
本当に
「うるさいんだよ!!」
「静かにしろよ!!」
と言いたかった。
(言える余裕はなかった)
そして、無事に
女の子が生まれてきてくれた!!
36時間にわたる
私の長い長い出産が終わった。
自然派で
陣痛促進剤を使わずに
元気な女の子を出産できた。
赤ちゃんをお腹に乗せてもらった時
痛みも忘れて
至福の時間を味わった。
うるさかった夫に
文句も言わずに
聞いてみた。
私「出産に立ち会って
どうだった?」
夫「どうって、別に」
私「え?感動しなかった?」
夫「ないね」
私「えええええ!!」
ウソだろーーー?
呼吸困難になるかと思うくらい
びっくりした。
出産の瞬間の写真が
上手く撮れたら
それでいいの?
どう感じるかは
本人の自由だから
そりゃあ
どんな感情を持ってもいい。
それにしたって
我が子の
生命の誕生に立ち会って
その感情って
人としてどうなんだろう。
なんて
なんて
悲しい感情なんだ!!
忘れようと思っても
忘れられない。
多分一生忘れられない
言葉だ。
感動を分かち合えなかった。
優しさを感じられなかった。
背中と腰を
マッサージしてくれたことなんて
ぶっ飛んだ。
この言葉を
この後、何回思い出して
怒りとため息をついたか。
この言葉の持つ
恐ろしい重さは
じわじわと
その後何年にもわたって
私の心にのしかかっていった。
あなたも
一人で抱え込まないで
一度、
相談を受けてみませんか?